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「ウルトラマラソン100km完走記(前半)」 [マラソン]

 ゴールタイムは12時間37分。結果的には完走できた。が、内容は実に苦しかった。6時間以上は苦痛に満ちたものだった。こんなにも苦しい思いを、参加費を払って遠くまで来てわざわざするなんて気違いだ、と何度も思った。途中意識が遠のく瞬間が何度も訪れた。終盤2時間はこの痛みと苦しみから早く解放されたい一心に歩を進めた。それだけに待ち望んだゴールテープが見えたときには、こみ上げてくるものがあった。走っていて涙するなんて初めての経験だった。  ウルトラマラソンを走る意味とは何なのだろうか。フルマラソンの2.5倍の距離、3倍の時間をかける常識破りの超・長距離レース。疲労感は体力的にも精神的にも極度に達する。ゴールまで数十km残した状態で、である。それがきっとウルトラマラソンは60kmから始まる、と言われる所以なのであろう。ウルトラの意義、苦痛に耐えて走り続けたレース中に何度も繰り返し問いかけていた。
 さて、今年で12回目を数える丹後ウルトラマラソンは、浦島伝説や羽衣伝説の地、そして山陰海岸ジオパーク(ユネスコ認定)とよばれる多くの特殊地形をめぐる歴史と自然を堪能できるレース。コースプロフィールは、アップダウンが連続した非常に難コースで、標高100m以上の登坂を4回含んでいて平坦路はほとんどない。特に60km地点を過ぎてからは高低差400mを10kmかけて上る最大の難所が待ち受けている。さらに、当日は快晴で気温32度となり、激しい消耗を強いられるレースコンディションであった。
 スタート前には、100kmという未知の距離を走るにあたって戦略を考えていた。フルマラソンの自己タイムから換算して目標タイムは10~11時間台。そのためには、体力を後半に温存するために6分/kmのゆっくりペースを維持すること。これは余裕のある前半で特に心がける。それと、どんなに苦しくても歩かずに走り続けること。一旦歩いてしまったら、その後苦しくなるたびに歩くようになり、ペースががた落ちするとのこと。
 午前3時。会場では、集まったほとんどの選手の足にはサポーターやテーピングが施してあり、これから始まるレースの過酷さを物語っている。午前4時半、レースは穏やかにスタート。会場を出ると外は真っ暗である。暗闇の中2000人のランナーが走る音が響く異様な雰囲気だ。上がりがちなペースをとにかく抑える。コースは海岸線のため潮の香りと波の音が一種神聖に感じる。スタートから2km前後。さっそく標高差150m程度の登坂が始まる。黙々と走っているうちに水平線がうっすら明るくなってきた。最初の登坂は大きなアップダウンを3回繰り返す。意外に急坂が多く、ペースを抑えてもスナミナが確実に削られる。右の股関節には早くも違和感を出始める。まずい。
 ピークの七竜峠を越えて急坂を下ると、山道が終わり温泉街に入る。そこを抜けると緩やかなアップダウンを含む比較的平坦コースとなる。ここまでで20km。すでに2時間が経過。疲労を感じ始める。しかし、まだまだ序盤。久美浜湾をぐるっと一周して、再びスタート地点を目指す。朝日が差す久美浜湾は絶景のひとつだ。すでに選手は塊ではなく一直線となっている。選手たちは黙々と走り続ける。30kmを過ぎて再び山道に差し掛かる。5kmを28~29分で刻んでいる。少々早いが、おおかた6分/km。それにしても暑い。8時を回り、すでに照りつけるような日射しだ。高い湿度のせいもあって汗の量が尋常ではない。給水所では多くの選手たちも暑さを訴え、疲労感が漂っている。まだたったの3割なのに、確かに疲れてきた。補給は5~6杯の水と梅干を2~3個を最低限摂るようにする。ストレッチとマッサージもこまめに行う。
 2回目の七竜峠では、ざっと半分以上のランナーが歩いている。登りを歩いて体力を温存しようと言うのだろう。しかしこちらは歩かずに走り続ける計画。その方がタイムロスが断然少ない。ゆっくりだけれどテンポを重視して歩かずに走る。ところが、下りに差し掛かる35kmあたりから異変に気づいた。下り坂でペースが作れない。右股関節の違和感がいつのまにか鈍い痛みに変わっていた。下りでの着地の衝撃が股関節に直接響いてくる。歩かずにはいられない。まだ先は長い。不安だ。
つづく。

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